母対策

合言葉は「メソメソすんな!」

家にいりゃー落ち着かず、外に出るとやたら饒舌になるもバス等の移動中はまったく無言になり、我に返って無言に気付いてもなんだか声をかけづらく、帰宅すりゃーお互いに「ばにさん見てきなよ…」とその生存確認作業でプチドキドキし、朝晩の投薬&清拭&水の時間だけ活気を帯びるも「はたしてこれがばにさんのためになっているのか」と軽く鬱になり。しかし我々にできることは最早朝晩の投薬のみで。あとはばにさん夢の国ですから。

母はまだ看病の方針が固まっていません。薬や水以外に、食べ物的なものも与えようかとオロオロ言いました。膝の上でぐっすり眠るばにさんを撫でながら、動物は食べなくなったらおしまいなんだから、食べないばにさんはもうダメだから、すでに絶食の今、ムリに食べ物をおなかに入れさせるのがばにさんのカラダにいいことかはわかんない、と言いました。先週獣医に行った時点で見切り発車で検査なんかしてたらそれは無駄なことだったわけだし、ヘタすりゃそれで死んじゃってたかもしれないし、そういう苦痛を与えずに済んだこととか、いまこうして静かにユメウツツであることは、ばにさんにとっても我々にとってもいいことだと思うから、もうこれ以上は望まないで、残りの時間をゆっくりさせてあげるのがいいと思う、って。

母はメソメソしましたが、同意していました。あたしはばにさんを抱いていてやたら静かな気持ちで観念的になっており、いつかばにさんが逝っちゃったらその時はきっと感情的になってしまうので、こういうこと言うのは今しかねえなと思って言ったのでした。母は俺と違ってまじめなひとなので。

つーかこういうのは父の役目なはずなのですが、父の家は変わっていて、動物を飼うことのコンセプトが常人のそれとかけ離れているので母をピンポイントに慰める言葉は期待できない。つーかその逆が怖い。マジで。だって父が彼の両親に電話して「ウチのネコが病気でもうダメでさ」と告げたとき、祖父はこう言ったのさ。「シンガポーなら埋めるところなんかたくさんあるだろ」と。ガクーン。そして父は言い訳みたいに言うのさ。「だって父さんたち、動物が死ぬと夜中にそれをかついで裏の崖を登って、お墓にこっそり埋めたんだ。大変だったんだ」と。知らねえー。

ばにさんはもう膿みの汁さえ出ません。インターフェロンの効果ならいいんだけど。食えるまでマッハで回復してくれれば望みはある。望まないと決めても矛盾するオトメゴコロです。