チビタ闘病記だなこれじゃ

夕方チビタのお見舞いへ。

チビは今日は腎臓のカテーテルが外れて、ひさしぶりにカラダひとつになっていました。ケージの扉を開けると立ち上がって、おとなしく撫でられていました。帰るときにケージを閉めると、つまんなそうな顔をして、伏せするのがいじらしい。チビタは物分りが良いからなー。

撫でていたとき、痩せた体で立っているだけなので、しんどいかなと手を止めて顔を覗き込んだら、チビはちょっと目を合わせてからふと目を伏せて、鼻の先であたしの手をぐいぐい押すのでした。もっと撫でろと。チビタの意思表示がうれしくて泣き笑いで撫でさせていただきました。

毎日お見舞いに行っていて、チビタは会ったときだけはちょっとうれしそうにするけど、その後はされるがままってかんじだったので、あたしのこと恨んでるのかな、はやく帰れって思ってたらどうしようと、実はちょっと心配だったのです。入院してから表情がまるでなくなってたし。でもチビに撫でろってされて、あたしがチビタにしてやれることがあって、それをチビタ自身があたしに伝えてくれたことがうれしかったです。

獣医はチビタの血液検査の結果で言うことがコロコロ変わります。先日ついキレて、もう3週間じゃないか!どーなってんだ!いったいチビタはあと何日がんばったら家に帰れるの?!腎臓の数値が良くなってたって見た目こんなんでいまにも死にそうじゃねえか!ここで死なれたらいままでがんばらせた意味ないじゃん!と、医者だって努力してんのは承知で言いました。あと何日か様子を見て、オシッコの出る穴の調子がよさそうなら、帰れますと医者は言いました。(こんな状態で帰らせるのか、と思ったけど、ここにいさせるよりよっぽどいい。なによりチビタは帰りたいに決まってる。だからその件は不問にした)

あたしはこの医者にどーしても訊きたい事があって、それは反則質問なんだけど、訊きました。「先生がチビタの飼い主だったら、この子をどうしますか」。主治医は答えて「獣医の立場で言うのでしたら、ここに運ばれてきて舌の壊疽が確認された時点で手術など治療をする前に安楽死を薦めています。でももし私がチビタの飼い主だったら、とことんまでやります。そういう性格なんです」 禅問答のようなお答えいただきました。

チビタの舌のことで増えるあたしの手間とかはどうでもいい。やったことねーからどんだけ大変かとかわかんないし、わかんないけどやんなきゃいけないことで、それができないことじゃないってことはわかるから。それよりチビタの将来だよ。どーなんのこの子の将来。とことんの治療を施すことで、チビタに普通の犬以下の生活を強いることになることが、どういうことなのか、やってみなきゃわかんないで済む問題だとは思えない。勝算あるの?ないんじゃないの?だってプロとして安楽死って言ってんじゃん。やってみなきゃわかんないけどやってみたらダメでしたっていうのは、ほかのひとにはアリなんだろうか。それ一番ダメじゃねーか?

いままであたしなりに、チビの膀胱がないこととか感染症とか、それでもなんとか普通の犬と同じかそれ以上の暮らしをさせたくて、がんばってやってきたのに、何の因果かこの結果。いや、まだ、途中結果だけど。でもこれで楽観しろというほうがムリよねー。その焦燥感が俺を医者に辛く当たらせるのです。あっでもたまに差し入れしたりしてます。